23
リプリーが国定公園から病院へ引き返した時、すでに日暮れていた。
病棟の各棟は、街灯の中にぼんやりとたたずんでいた。
スバルは外来駐車場にとめてあった。
隣の白いセダンと比べると、リプリーの車は、まるで爆撃をかいくぐってたどり着いたように見えた。
「面会謝絶」
疲れた警部補を出迎えてくれたのは、そんな文句が書かれた貼り紙だけだった。
リプリーはオットーの病室のドアの前で、ため息をついた。
混乱していて、何を話せばいいのか分からなかった。
ヤケになりそうだった。
リプリーは、自分には他人をいたわる気持ちがないことを自覚していた。
それが彼の孤独の原因だと考えていた。
しかし、弱者いじめは嫌いだった。
優しさを表現する方法が古いだけだと自覚していた。
彼は仁王様のような顔をして、ドアを勢いよく開けた。
中にいた年配の看護婦が、毅然として、彼に言った。
「何ですか、あなたは。外の貼り紙が見えなかったのですか」
「見えはしたが、読みはしなかった」
「んまあ。何よ、この男は」
「出ていってくれ。便所の世話なら、俺がやる。オットーと話がしたいんだ」
「あの人は眠っているんです。睡眠薬でようやく寝入ったばかりなんです」
リプリーは「あの人」という表現に、好奇心を持ったが、すぐさまそれを捨てた。
そんなことは、どうでもいい。
「起こせないのか」
「起こせません。それに目覚めても、会わせるわけにはいきません」
「俺は弟だぞ」
看護婦は言葉を探していたが、急に表情を崩して、リプリーに訊いた。
リプリーは、一応、親類ということになっているのだ。
「あの人に、どんな用件でしょうか」
まただ。「あの方」ではなく、「あの人」だ。
リプリーの直感は正しかった。
この女はオットーに惚れている。
しかしそんなことは、どうでもいいのだ。
「あんたにそれを言うわけにはいかない。たとえ、あんたの職務的な義務だとしてもだ。リプリーは俺の親類だし、やつを尊敬してい
ると言ってもいい。悪いようにはしないつもりだとだけ言っておこう」
ベテランの看護婦というのは、必然的に人あしらうのがうまいものだ。
看護婦は馬鹿丁寧に、オットーの容態を説明した。
リプリーも聞かないわけにはいかなかった。
オットーは、連夜不眠状態が続いていて、一時間前にようやく入眠したばかりだった。
「ということで、今日はお帰りください」
帰るつもりはなかったが、帰るのが正解だと彼は思った。
帰って欲しいんだろ、クソ。
ドアを開いた時、看護婦は彼を呼び止めた。
「あなたのお名前は」
「リプリー・オブライエンだ」
「名前が全然違うじゃないの、あなた」
「本当は違うんだ。俺は警察官だ。オットーは警察依頼の仕事で負傷した。どうしてもオットーと連絡をとる必要があった。それであんたたちにでたらめを言った」
「初めからそう言えばいいのに」
「極秘の捜査だ。洩らすわけにはいかない」
リプリーは病院から引きあげた。体が疲れ切っていた。
鼻たれケンジのホテルにでも、寝せてもらうか。
スバルのシートは固すぎて、俺のデリケートな神経じゃ、眠れやしない。
リプリーという人間は、他人の部屋に断りもなく寝泊まりするような男が、はたしてデリケートであるのか、それが考えられない男だった。
ケンジはチェインバーグ駅の近くにあるホテルに泊まっていた。
フロントに警察手帳をちらつかせ、ケンジの部屋のスペアキーを
横取りすると、階段を登っていった。
この手の男は、体が疲れて頭を使えない状態になると、隣にエレベータがあるのに気がつかない。
「寝かせてくれ。疲れているんだ」
ケンジは、いきなり現れたリプリーに驚いたが、彼の顔を見るとベッドを指さして頷いた。
ひどく疲れて見えた。
リプリーはベッドに傭せになり、すぐさま正体がなくなった。
ケンジはフロントからの問い合わせの電話に、知人だと言った。
空き部屋を尋ねて、リプリーの代わりに手続きを取った。
彼は自分の荷物を手にして、リプリーのために取った部屋へ移ることにした。
リプリーを起こして移ってもらうことも出来たが、そうしなかっ
た。
リプリーが母親の夢を見ているような寝顔をしていたから。
翌朝、ケンジは部屋を訪れたが、リプリーはまだ寝ていた。
余程疲れていたのだろう。
ベッドのサイドテーブルに、ウイスキーの小瓶がいくつも転がっていた。部屋の中はアルコールの匂いが詰まっている。
マーブルの灰皿に煙の筋が立ちのぼっていくのが見えた。
目覚めてはいるのだが、起きれないのだ。
病院で別れてから、この男はいったい何をしていたのやら。
つづく
最後までお読み頂きありがとうございます。この作品はランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。
Follow @hayarin225240